出会った事のない兄

最近サボってました(^◇^;)笑

特に書くネタが無かったなんて事は…ありません!

きっと!!!笑

 

そして、今日は

私の家族にとって特別な日です。

 

私は自己紹介や家族構成を話す際、

14歳離れた姉がいる。

とだけ言ってきました。

 

14も離れた姉と2人兄弟。

そう思われてると思う。

でも、

実は真ん中にもう1人いるです。

 

出会った事のない兄、出会う事のない兄

 

私の兄は

1979年12月10日

この世に生を受けた。

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明るくて、優しくて、家族思い

その持ち前の明るさで周りの人に元気をする少年だったらしい。

そんな兄貴が小学校に上がった時

突然の病魔が襲って来た。

 

外出して居た時に突然、まっすぐ歩く事が出来なくなった兄を見て親はすぐさま病院へ連れて行った。

検査の結果発覚した病名は

当時では手の付け所のない場所に出来た

脳腫瘍

医療系の人なら分かると思うけど、

若くしての癌は進行がとてつもなく早い。

 

その知らせを聞いた両親や姉は

どれだけ辛かったのだろうか…。

どれだけ悔しかったのだろうか……。

私には計り知れない。

 

 

両親は今できる兄の精一杯の思い出を残してあげたい。

その思いで必死だったそうだ。

決して裕福な家庭では無かったが、

歩く事もままならなくなっていた兄をおんぶして

色んなところへ連れて行った。

 

 

東京へ日帰りで旅行に連れて行った時、

ステーキが食べたいという兄とステーキ屋さんに連れて行った時

 

兄「お母さんはなんでサラダしか食べないの?」

母「お母さん、サラダが好きなんだ」

兄「僕の少しあげるよ、これ美味しいよ」

と言ってくれた時、

母親は涙が止まらなかったそうだ。

なんでこんな優しい子に病魔が。。

 

 

 

病気が進行して行くにつれ、

兄も自分の置かれている状況を子どもなりに悟っていたそうだ、、

兄は

「僕はこの家を継げない、だから僕の代わりに新しい子を作って欲しい。」

そんな事を10歳の若さで言っていたそうだ。

 

 

その数ヶ月後、、

兄は息を引き取った

享年10歳という若さだった。

“出来る事なら変わってあげたかった”

そう親はいつも言っている。

自分より先に子が旅立つ辛さは計り知れないものがあったと思う。

 

 

 

そして、その2年後

兄の残した言葉通り

私がこの世に生を受けた

 

だから私は兄の事を知らない。

 

会った事もなければ、今後会う事も出来ない。

 

私は兄の事を両親や姉から聞いた話でしか分からないけど、、

私にとっては偉大な存在だ。

 

10歳の若さにしてその心境になる事も。

“死”という最大の恐怖も覚悟して言ったあの言葉も、

私には到底出来ないと思う。。

 

そして、兄に変わって生まれた自分が出来ること

それは

兄の分まで全力で、一生懸命生きることだ!!

ちょっとやそっとなことじゃへこたれず、図太く生きてやる

この家は俺が必ず守る

 

 

そして今日がそんな兄の誕生日

亡くなったのが10歳だから、誕生日にはいつも

好きだったコーラやポッキーを買ってたけど、

もう絶対飲めるよね!笑

 

俺も十分飲めるおっさんになりました!(^ ^)笑

 

だから、

空へ向かって

ビールで乾杯^_^

 

〜Hideki